サービスをより向上させる掃除の志 ~社会と相手のために目的を持つ大切さ~
島村 亮 氏
株式会社ルミナス
代表取締役
島村 亮 氏(大田支部)
【会社概要】
設 立 2001年 10 月 26 日
従業員数 22 名
事業内容 賃貸アパート・マンションの清掃管理、原状回復工事・空き室の清掃
所在地 東京都大田区池上3-35-5
H P https://souji-ya.net/
ひとには「気」の入った言葉がある。島村亮氏から発せられる「志」という響きには文脈に合わせた強弱があり、相対する者を引き付けてしまうようだ。
「学生時代、サーフィンに明け暮れました」と笑う島村氏。生まれ育ったのはルミナスも所在する大田区池上。早朝3時より車で湘南、千葉、茨城の海へ。波といっしょになったあとは、そのまま大学の授業へ。そして中学卒業後からお世話になっている清掃のアルバイトへと向かった。「清掃のアルバイトは、地元の先輩から代わりに行ってくれ、と言われてはじめたもの。特段、思い入れがあったわけでもないんですよ」と語る。現場は飯田橋にあり、親方(経営者)は可愛がってくれ、客先でも「社長の息子かい」と言われるほどであったそう。
しかし、その親方が体調を崩した時から変化が訪れる。「親方は埼玉の病院に入院をしていて、業務報告に行く時間も増えました。そうすると、自ずと学業にも手がつかなくなってきて」。親方からは事業の行く先を相談される機会もあったという島村氏。ここで事業を引き継ぎたいと手を挙げるも、親方のご親族が引き継ぐこととなった。「挙げた手は下げずらかったです。ですので、大学を辞め、独立をしました」とほほ笑む。
事業を始めて最初に行ったのは地元蒲田にある大手企業への飛び込み。仕事を下さい、と願い入れ、手にしたのはその企業での清掃アルバイトであった。「勉強をさせて下さい、とお願いをしたのでこれもまたよかったと思います。アルバイトとして2~3年働きましたが、出入りする業者からの紹介もいただくようになり、仕事につながりました」。「でも、満たされない気持ちもまたあったんです…」と手元を見つめる。
親方の元で働いていたアルバイト2名が島村氏のもとに集い、仕事は安定する期間に入った。しかし、現場で体調を崩す日がいくつかあり、結果、7か月の闘病生活を送ることになった。癌、である。「月日を経るにつれ、業務量が減り、一方で治療費はかさみ続ける」。「自分の存在がなくなり、世の中から消えていく。会社も消えていく。それは心残りだ。自分という存在が認められる状況に身を置きたい。役に立ちたい、喜ばれる存在になりたい」と考えました。そして、掃除で役に立つにはどうすればよいのか、という想いと真摯に向き合った。「この清掃業界に対して、自分は不満に、残念に思うことがある。
ならば、それをひっくり返して掃除に向き合えば、ルミナスのビジネスになると気がつきました」と島村氏。縁があって選んだ掃除業、志を持って、自らとまわりを変えていく、バチッとスイッチが入った瞬間であった。
マンションなどの不動産物件には管理が欠かせない。しかし、何をもって管理と言うのか。島村氏の着眼点はここにある。掃除ひとつをとっても、掃除を掃除として行う業者が大半である。しかし、掃除にも目的がある。それは利用者に心地よく施設を使ってもらうことである。現場にいる人がこの志を持つことができれば、依頼主である不動産オーナーとの対話の接点も出来る。ルミナスでは定期清掃を行った後に、レポートを提出する。担当者の目線でその志を伝えていく姿勢の表れである。「定期的に不動産と住まう人を見ている掃除屋だからこそ出来ること。定点観測をし、解決策も提案し、新たな習慣を物件にもたらすことができるのです。もちろん社員の志も高まっていきます」と島村氏は嬉しそうに語る。ルミナスの名刺の半分は「掃除屋」という文字が占めている。書家 榊莫山のようなデザインを意図したと語り、「ルミナスという言葉には思い入れはないんですよ、でも、掃除屋には思い入れがあるんですよ」と島村氏は少し照れ笑い。
「掃除の志は、会社の、そして私の軸に据えていますが、これがドンドン強くなっていかないようにも気を付けています」と語る。社会に対する役割を持ちたいと島村氏は考えているが、そのすべてを社員に出せないと言う。なぜならば、掃除を楽しいと感じ、これを探求できる会社のあり方もまたみえるからである。
サーフィンは波に乗る前に、ボードに乗ることの難しさがある。そして、それ以前に海に出ることすら難しいそうである。「それでも、なにくそーって思いながらやるんです。ルミナスもこうありたいと思って作った場所。こうあるべきっていうのを追求したい性分みたいですね、ぼくは」と笑う。
約15年前に自社ビルを所有することができた際、島村氏創業・闘病時代から支える社員お二人はとても喜んだという。「人が集まる器をつくりたい」、自社ビルを眺めながら島村氏は静かに語った。