リフォームと浄水器の二刀流で ワタシも社員もワクワクしながら 仕事ができる会社を目指す
寺島 槙律奈 氏(中央区支部)
株式会社 アウム
代表取締役社長
寺島 槙律奈 氏(中央区支部)
【会社概要】
設 立 1 988年 10 月 19 日
従業員数 28人
事業内容 リフォームプラン・施工、戸建・マンションのモデルルーム企画、インテリア・提案販売、浄水器販売・アフターメンテナンス
所在地 本社: 東京都杉並区下高井戸4-4-3
営業所:東北 / 北関東 / 西日本 / 九州
H P https://www.a-hum.co.jp/
「いつも人に助けられる人生なんです」と朗らかな寺島槙律奈さん。「おかげさまで当社は今秋35周年を迎えます」と語る。「住宅のインテリアコーディネートとリフォームから始まったアウム。社名は漢字では『阿吽夢』と書きます。阿吽の呼吸で仕事をし、お客様の夢を叶えたいという願いを込めています」。
「新潟県佐渡ヶ島の創業150 年の酒蔵に生まれ、父には厳しく育てられました。ひとつのエピソードは佐渡の海に船から突き落とされた小学校低学年の記憶。その頃の私は泳げなかったのですが、父は佐渡の人間が泳げないことを許せなかったのでしょう。必死になって泳ぎ、父が待つ陸までたどりつくと『やればできるじゃないか、お前はやろうとしないだけだ』とひと言。
おかげで私も今はダイビングが趣味なんです」と笑う。「父は先見の明があり、これからは女性が社会で活躍する時代だ。資格を取りなさい」と言っていました。「高校までは新潟市で学び、大学から東京へ。こちらに来てまず感じたのは、水道水のまずさでした。佐渡育ちの自分にはどうしても合わず学生時代から浄水器を使い、これが現在に生きています」と振り返る。「百貨店へ入社し、インテリアコーディネーターとして仕事をしていました。当時はバブルでトラック一台分の高級家具や家電を別荘に、という時代でした」と寺島さん。「入社の3年後、1988 年に建築士の夫とアウムを設立。百貨店時代にお付き合いのあった設計事務所の先生が応援して下さって。本当に有難いことです」。
「そして設立3年後に来たバブル崩壊で経営危機に。髙島屋一社に依存していたこと。取り込み詐欺にあったことが原因でした」。「ですがご縁はあるもの。当時、アメリカ帰りのお医者様の新築のインテリアコーディネート案件があり、引き渡し前の様子を見に来た先生がキッチンを眺め、なぜ、浄水器が設置されていないのか? アメリカでは浄水器の使用は当たり前だよ、と」。「そこで私が愛用してきた浄水器をお勧めをしたところ大正解。先生のお母様への紹介にもつながるほど気に入ってくれました」。「リピート受注の浄水器ビジネスは救世主でした。注力を決断し、髙島屋の外商部へ浄水器を提案。販拡へとつながりました。また、浄水器の代理店となる為にはまとめて在庫を持つ必要があり、初めての借金も経験。ここでは偶然、支店にいらした信金の理事から融資をいただけました。今にも潰れそうな会社に、よくお金を貸してくれたものです」。
「次なる試練はリーマンショックでの価格破壊。関西圏の会社による東京マーケットへの参入です。カーテンや照明などの価格競争には限界があり、ここで幸いしたのが浄水器を通したお客様とのつながり。浄水器カートリッジの交換を当社の営業が担当をするようにして、お客様の住まいのお困りごとを解決する接点ができました。リフォーム顧客のリピート率は80%に至っています」と寺島さん。「また、このタイミングで浄水器代理店から浄水器メーカーへと舵を切りました。加えて、夫から私への社長交代の課題にも向き合うことに」。「社長業って何をやればいいのか悩む中、入会したのが東京同友会。苦しさを共有できる仲間がいたから、こんな私でも社長が出来るかも知れないと一歩踏み出す勇気をもらえました」と前を向く。
「コロナ禍では経営理念の見直し、顧客システム開発、働き方改革、そして新たな切り口の新型浄水器開発へと着手。とりわけ浄水器開発は既存客の住宅業界ではなく、健康・美容業界にフォーカスして若手女性スタッフをアシスタントリーダーに抜擢。浄水機能のみならず、5つのミネラルも溶出する特許を取得。私自身、悩み多い時でしたが、社員一人ひとりの頑張りを目の当たりにし、励まされました」と寺島さん。「会社には変化が必要です。建築業では高齢化傾向にありますが、若い世代がやりがいを持てる環境をつくりたい。その為にも社長自らのワクワク感が必要ですよね」といたずらっぽく微笑む。
「住宅業界をベースに『あうむHOME』のブランドをコロナ禍に掲げました。さらにそこから一歩前進させ、お客様の暮らしをデザインするだけでなく美と健康について総合的に役立てるブランドとして『あうむLIFE』を社員とともに作り上げたい」。「社員が会社に誇りとやりがいを持って働ける会社にしたい。企業価値をブランド化していくことが私のビジョンです」。
「昨年、大好きな父が亡くなりましたが、父の『ほーら、やればできるじゃないか』という声が聴こえてきます。これからも、私は社員達と一緒に挑戦と改革をやり続けていきます」と温もりある声がしみ渡った。