創造性を高め、社員と共に変化へ対応 ~発想から発送までをサポートする総合印刷業~
山浦 賢一 氏(江東支部)
山浦印刷株式会社
代表取締役社長
山浦 賢一 氏(江東支部)
【会社概要】
設 立 1956 年 4 月
(創業 1939年 8 月 1 日)
従業員数 30人
事業内容 雑誌、書籍、広報誌、参考書等の頁物印刷物の製造(企画、デザイン、制作、印刷、製本、発送)
所在地 東京都文京区関口1-39-10
TEL 03-3203-4721
H P http://www.yamaura-print.co.jp/
「戦前の1939年、当社は新宿区戸塚にて祖父が創業。祖父は身ひとつで上京、印刷屋に奉公をして独立したと聞いております」と山浦賢一氏。「残念ながら戦中に罹災をし、事業を中止。1947年、文京区関口に工場を建設し、従業員3名で事業を再開。1969年に現本社工場を建て、今に至っております」。「祖父はこの地域に水道を引いたのは自分であると話していました。実際のところは私も把握しきれていませんが、たいへんお世話になっている興産信用金庫さんの社史にも祖父の名前が載っており、情熱をもって事業に臨んでいたことを感じます」と語る。
事業承継と社長業との向き合い
「私自身は大学院を出て、自動車部品メーカーのエンジン制御システム開発に携わっていました。四年間勤め、社長であった父の体調不良もあり一九九五年、当社に入社。私が4才のときからこの社屋はあり、当時の社員さんとも顔を合わせていたので下地があったことは有難かったです。当社は印刷屋として創業、そして1969年の新社屋建設後は活字の鋳造を内製化。90年代からは製版・製本へと事業を広げようと動いていました」とひと呼吸おき、「しかし、私が入社した5年後に父が急逝します。35歳で実質社長となったのですが、祖父が4年間社長を受けてくれ、社長としての準備期間をいただけました。その祖父も私が39歳の時に他界をしました」と言葉をつなげる。
「自動車部品メーカーの勤務経験もあり工場の動きは無縁でなかったのですが、社長業はどのように動いてよいか分かりません。大手メーカーにいた経験からこうやれば上手くいくはず、と社員に提案するも反発を受けます。創業者の気持ちはなかなか受け継げないなと感じたこともありました」と手元を見つめる。「そして悩む中、東京同友会江東支部とのご縁をいただきます。支部会員さんの実務的なアドバイスは心強かったです」と微笑む。
信金と同友会からの助言と学び
「その他にも多くの方のサポートをいただきました。当社はバブル期にグループ会社を作り、他業種展開も行っていました。しかし、これもすべて上手くいかなくなり、ちょうど私の入社した頃がこの問題に対応しはじめた時期でした。負債への対応を10年近くかけて行い、その後に来たのがリーマンショック」と振り返る。「リーマンショックは当社そのものよりも、取引先が半年後からおかしくなりはじめ、当社の資金繰りにも影響を与え始めます。そこで多大なるご支援をいただいたのが興産信用金庫さんでした。私が事業を承継した時から今では考えられないくらいのお力添えをいただいており、感謝の念しかありません」。「父が亡くなり、いざ事業を承継するとなると、研究が好きだった自分がなぜ事業を承継しなければならないのかと置かれた立場を振り返る日々も続きました。しかし、信金のみなさま、そして同友会のみなさまからいただいた助言や学びにより、なんとかなるかもしれない、と落ち着いて状況を見られるようになりました」と静かに語る。
「私自身は理系出身なので現実主義者を自認しています。リーマンショック後のリスケ計画などは数字を相当詰めました」。「一方、同友会は理念に基づく経営であり、社員の教育でありと今までの私に素地のないことですべてが目新しかったです。また江東支部では2000年前半は孫子などの歴史哲学面の勉強会もありました。迷って、さまよっての時期でしたが、ただ仕事ができればよいのではない。そんな思想哲学に惹かれました」と山浦氏。
社員との関係、期待すること
「私は子供のころから本社工場に遊びに来ており、機械いじりの機会をもらっていたと思います。心地よい雰囲気でした。有難いことに現在もフロアがより居心地よく働けるようにと社員がDIY で修繕をしてくれたりもします」。「在籍歴が長い社員は40数年にもなり、社員が居場所を作って、一緒に働いてくれるのは嬉しいです」と声がはずむ。「創業当初は家族が食べていくための事業だったと思います。同友会では中小企業は社長であり、自らを高めていくことの大切さを学びました。経営者が知らなかったことで社員の生活に影響が出てしまっては申し訳ない。社員には出来ることをしたい、そう思っています」。
「1から10まで状況を整えて、私の考えと同じことをさせては社員の創造性は育まれません。特にこの先十年は目をつぶって、任せることをしていきたい。あとは私が責任をとるだけ。なによりも、社員に教えてもらえることを楽しみにしています」と朗らかな声が会議室に溶け込んだ。