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中小企業家群像

魅力的な90才経営者 ~大型旋盤加工の一貫生産~
大洋機械株式会社 猪狩 洋 氏(品川支部)

大洋機械株式会社(品川支部)
取締役会長
猪狩 洋 氏
東京都大田区城南島2-3-9
創  業 1965 年
資 本 金 2200 万円
従業員数 14 人
事業内容 大型機械加工、ステンレス等治工具製造

東京同友会の先輩経営者に、このような方がおいでになるのを誇りに思う。

訪問したのは2月8日、昼少し前。平和島駅を出て城南島の本社工場にバスで向かう。工場地帯を実感しながら到着した。笑顔で迎えていただき、二階の会長室でインタビュー。  

勤務先の解散で現在の大洋機械㈱を設立して代表取締役に就任したのが昭和40年10月。もう半世紀を過ぎた。「2月14日で90才ですヨ」と言われる氏の笑顔は十分に若々しい。

東京城南工業協同組合を設立して代表理事に就任する。昭和61年5月。13社でのスタートが現在では6社とのこと。

金属加工の今の仕事は少し減るかもしれない。発注元でもある大手企業の社長に「発注の仕方に苦情を言いました」と現実の厳しい部分も認識しておられる。

戦前・戦中・戦後と激動の時代を生き抜いてこられた猪狩さん。「3年間、土浦の海軍航空廠で勉強しました」と語る一言ひとことに人生の厚みが感じられる。

同友会での氏の活動を覚えている世代も少なくなった。共同求人での活躍、南部支部支部長としての活躍については60年史、「私が同友会に入会した頃」に詳しい。

一階の工場を案内していただいた。マシニングセンターや自動機が所狭しと設置してある。ああこれなのだとの感慨一入(ひとしお)である。

高度経済成長期の日本の生産力を支えてきた原点を視る思いがした。機械油の匂いが、金属切削の現場を五感に訴えてくるのだ。何とも男性的な硬質の緊張感に雰囲気が満たされている。

「春は鉄までが匂った」

春を表現して、これ以上魅力的な一行を私は識らない。「旋盤工・作家」として50年の間も現役を続けられ芥川、直木両賞候補にもなった作家である小関智弘の一行。同人誌に文学作品を発表しながら『大森界隈職人往来』『ものづくりに生きる』などの文学作品で知られる。この人の『働きながら書く人の文章教室』岩波新書をめくると62頁に次のようにある。

「17歳のころから知っている猪狩洋さんはやがて大田区の城南島という埋立地に工場を持った。(中略)後にはNHKのドキュメンタリー番組に一緒に出演して頂いたりした。

ところがある日、その猪狩洋さんから800頁に近い、立派な本が送られてきた。『猪狩満直全集』であった。その満直が、あの『洟をたらした神』(吉野せい作品)の“かなしいやつ”だということを思い出せなかった」。

2015年夏、当広報部の一泊研修でいわき市立草野心平記念文学館に立ち寄り、「猪狩満直企画展」を観た。猪狩満直氏は洋さんの父君である。三野混沌、吉野せい、草野心平、更科源蔵、真壁仁の詩人について「心平さんと五人の作家のこと」と洋さんは貴重な文章を書いておられる。父君の時代、農民詩人がうめくような詩を発表したことに感動する。その時代の空気、呼気の濃度までも感ぜられ表現者の仕事も現代の経営に近似するものがあるのだ。

洋さんが会長に就任するとともに次男浩さんが社長職を継がれる。多忙のところを時間をいただいた。印象に残ったのが大の落語好き。この話は聞いていた。大洋機械の社長は落語のことなら時間を取れると。人間、誰にでも弱点(?)はあるものだ。大学で落研の出身とのこと。道理で口跡が爽やかなのである。

おいとまをする段になって交通機関を聞かれた。自分も帰るので大森駅まで送ってくださるとのこと。洋さんは確か数カ月前に体調を崩された由。あと一週間で90才になられると聞いたばかりである。ご子息にもう車の運転は止めたらと言われるとのこと。当然である。こちらが若干の躊躇をみせると、「大丈夫ですヨ、アクセルとブレーキの踏み間違い防止を付けているから」。

結果は無事大森駅まで送っていただいたのである。先輩経営者を取材の時は遠慮は禁物なのだ。但し、若干の勇気もいる。

本誌、表紙絵も描かれたことのある猪狩洋氏は魅力的な経営者であり同友会きっての文化人でもある。

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