コンピュータシステムは、 お客様が商売をするための設計図 ~経営者は会社の仕組みづくりが仕事~
システム技研株式会社代表取締役社長 清水 通男 氏(新宿支部)
システム技研株式会社(新宿支部)
代表取締役社長
清水 通男 氏
新宿区高田馬場1 丁目34 番1 号
サンフジビル5 階
設立 1981 年10 月
資本金 4000 万円
社員数 150名(関連会社3社を含む)
業務内容 コンピュータシステムのコンサルティング・コンピュータソフトウエアの受託開発・コンピュータシステムの運用管理・コンピュータソフトウエアの技術者派遣
高田馬場駅戸山口改札を出て、一分もたたないビルの五階に、システム技研㈱の事務所がある。清水通男さんは「駅に近いのが一番です」と笑顔で迎えてくれた。「お客様も立ち寄り易いと訪問者も多いですよ」。確かに、そうだ。
清水さんは、信州上田の生まれ。高校は上田高校。同席の広報部 飯田茂幸さんも同校出身のため同窓会の話から始まる。同校のOB組織に松尾倶楽部という会があり、年五回程著名人を呼んで講演を企画している。その名簿管理を担っているとのこと。
家業はマッチやうちわ扇子などに広告を入れる販促の仕事。清水さんの高校卒業に合わせ、父君がよろず屋の店をつくり、その店を任された。父が発行していた日本情報という新聞も手伝った。店番をしながら、四書五経、聖書、コーランなど様々な古典を読みあさった。読書三昧の青年時代が、その後の清水さんの人生を支える。
大学進学も考えたが、家庭の経済事情がそれを許さず断念していた。そんな環境をつくった父親に対する反発もあり、二四歳の時、家を飛び出し航空自衛隊に入隊する。「何故自衛隊に?」と聞くと、「必要なものは隊で用意される。自前でパンツ二枚を買えばよかったんですよ」と笑う。勤務地と職種が選べた。東京の国会図書館に通えるという理由で選んだのが埼玉県の入間基地。
あえて、仕事のイメージが湧かない計算機、コンピュータを選択した。当時はカードリーダーで読み込み、磁気テープをメモリとして使う大型の時代だった。集団生活と技術を学んだ。「暇で暇で、このまま務めているとダメになる」と、三年間で除隊する。洞察力と好奇心の持ち主である。
とにかく稼げるところをと、原野商法の不動産屋、歩合制の英会話カセットの販売、そしてキャバレーチェーンの店長も経験した。そこは風俗業にも関わらず西郷南洲の言葉を引用し道徳論を社是にしていた。「人間の欲望をくすぐる商売にこれは合わない」と感じた。それでも外に出て世の中がわかるようになった。その経験はシステム技研の仕組みづくりに生かされている。
転職するなら二〇代だと、あと一カ月で三〇歳の時、プログラマーとして就職する。ここもまたブラック企業だった。給与の遅配が続いたため、独立しフリーランスとなる。沖電気に二年、日立製作所に二年務めて、そこで知り合った仲間と会社をつくった。
現在、システム技研グループは三社、二七〇人の組織に成長した。技術が売りなのは当然だが、依頼内容を完成させずに終了したり、商売をやっている感覚がないといった業界の悪習を排除して、信用信頼を築くことにこだわった。「技術は社会基盤を支えるために必須なものではあるが、実に地味な仕事です」と控えめな笑顔が印象的だ。
孟子の「天の時 地の利 和の人」を座右の銘にしている。駅に近いビルを選んだのもここにあったのか。
同友会新宿支部の支部長も経験した。「同友会はものすごいデータベース、しかし自らアクセスしないといい情報は得られない、悩みがあったらアクセスすればいい」と明快な答え。
様々な経験と豊富な読書量から今を分析する目と未来を読む力を持つ人だと強く感じた。ここにも同友会の人財がいる。