「同友会が大切にしていること 労使見解から障害者雇用まで」
あかいし脳神経外科クリニック会長 赤石 義博 氏(足立支部会員)
あかいし脳神経外科クリニック会長
足立支部会員
中小企業家同友会全国協議会
前会長・相談役
二九歳での入会から同友会歴五〇年の赤石氏。
経営における自身の体験、労使見解の中に脈々と流れている人間尊重が実践的に行われていた場合、数えきれない企業が危機から脱し、蘇っているという実績をもって、人間尊重の経営・労使見解を経営の根幹だと説く。
企業が障害者を雇用する意味
「人間が身体的精神的に充分ではないということであっても、人間として等しく平等な権利を持ち、暮らしを全うできる」今日はこれを確認したいと思います。
熾烈を極めた労使紛争の苦しみ
東京同友会が創立された時から、一番大きな問題は労使問題でした。東京は政治的な影響を大きく受けますので、労使紛争が激しかった。昭和三七年当時、同友会会員の六~七割は労働組合を抱えていて大変でした。労使見解を執筆された童心社の村松さんは経営労働委員長でしたが「明日、ストがあるから今夜は帰る」など生々しい会話もありました。労働組合にどう対応して、まともに営業活動を続けていけるかは切実な問題でした。
私も労働組合を抱えていましたが、その筋から「五万円(当時高校新卒初任給が五千円)で、労働組合幹部を二度と会社に出て来れなくしますよ」と何度もアプローチされる時代でした。でもそれでは真の解決にはならないのです。同じ釜の飯を食い、全社で真剣に業務に取り組むことが必要なのです。安易に解決せず、粘り強く話し合い、団結を模索しました。これは今の会員さんにも引き継いでいただきたいことです。
田山謙堂さんが新刊「変革と継承」(鉱脈社)の中でも話されていますが、自社の経営と共に、天下国家も考えてほしい。日本の行く末はどうするのかという議論もしてほしいのです。
労働者をパートナーと捉える
昭和三七年十月に熱海で第三回全国活動者会議が開かれました。全国に同友会はまだ三つしかありませんでした。五~六〇名が集まりました。当然私は労使問題の分科会へ出ました。当時二九歳。熱気ある面々の中で口も挿めませんでした。明け方、意思統一されたことは、我々は確かに店や工場を持っており、資本家には違いないが、何ほどの者かと。皆と同じ釜の飯を食い、暮らしをなんとか維持する程度だ、資本がどうのというものではない。ただ一点、給料を決めて払う側と決められてもらう側という利害が相反することははっきり認めよう。その上で、最も信頼できるパートナーとなっていくにはどうしたら良いかを考えていくことになります。
翌年、「春闘に際して訴える」という文章から、労資の「資」を「使」に変えました。今ではこれが一般的です。
障害者にも人権を
最初は労使問題を穏やかに解決して、生産活動に専念したかっただけなのが、議論を深めていくと人間としての存在の問題に繋がっていきました。障害者の方の問題と、自分自身の基本的人権を守る事と、会社の問題を別々の問題として捉えてしまう。これではいけません。
「生産条件の追究」から入るのではなくて、「生存条件の追究」から入る姿勢が絶対に必要です。そう言うと、「企業は競争が自明であるから、生産条件を追究しないと企業が維持されない」と言われます。しかし、例えば生産性を上げさせて、人員が余ったからと余剰人員をクビにするのは自分の墓穴を掘らせているような、ひどい事だと思うのです。
労使見解を実行するための
経営指針成文化
労使見解が採択されたのが昭和五〇年一月です。熱海の会議から十三年かかりました。この間、徹夜続きの団体交渉をして精神的におかしくなって失踪した人、ボーナスを不満として明日からストをされるという前夜に心筋梗塞で亡くなった人、交渉の苦痛から廃業した人もいました。銀行から上場目前の二億円の設備投資融資の条件に労働組合を潰すか、社長退任かと迫られ、辞任した人もいました。
我々も辛くなると楽な方へ行きそうになります。それではまずいから、社長の思いを文字にして社員と共有するべきだ、と経営指針成文化運動になります。高卒で入社して六〇歳で定年する四二年後に、どういう思いで退職するか、どんな会社にするかを考えようと言っても、明日の手形をどうするかが先だとなってしまう。今となっては笑い話ですが、文字にするのは大変でした。
多数決を取らない意味
同友会の基本は「自主・民主・連帯」です。自主とは、紐付きにならないこと。民主とは民主的でありボスを作らないこと。連帯は団結で、設立当初からの思想でした。
初代の代表理事がメリヤスの団体の方でした。当時は統制経済ですから、糸はまとめて同業組合に配給になります。組合の中で会員企業の実績や設備の能力に合わせて分配するのならわかるのですが、とにかく組合長にゴマをする人間に分配される。それがおかしいと言おうものなら、もらえるはずのものまで引き上げられるという時代でした。そんな中、我々は全ての経営者の声を公平公正に反映する。そのために多数決は取らない。そういう深い意味がありました。皆の意見が一致したものから意思統一して実践していく、一人一人の違いを認めて反映させていく、それが人間を尊重していくことです。それが同友会内ではわかるが職場では実践できない、では困るのです。
経営指針は社員とともに作る
労使見解の一番最初が経営者の責任という項目で始まっているのはご存じの通りです。経営者である以上、いかに環境が厳しくとも時代の変化に対応して経営を維持し発展させる責任があります。その次に「経営者は企業の全機能をフルに発揮させて、(中略)何よりも実際の仕事を遂行する労働者の生活を保障するとともに高い志気のもとに」と続きます。この「志」は経営指針とつないで考えて理解していただきたい。「士」を使わずに「志」を使ったのは、理念を共有するという意味を強く込めているのです。田山さんも、経営指針を、「社員の知恵を集めて」と書いています。
最終的な決定は社長がやるとしても、理念に基づいた行動の具体化をする時に、経営指針の企画段階から社員が参画することが、より深く理解し参加の意識をもつことになります。社長がすべて作りあげてから、意見があるか、無いなら賛成だなと決めて、反対が出なかったのだから計画を遂行するのは全員の責任だと言っても押し付けになってしまいます。あげく自主的にやれ!と怒鳴っても自主的にはやれないでしょう。自らの気づきをどう持たせるかが大事なのです。
命を全うさせる障害者雇用
新潟同友会会員の故・渡辺トクさん(新潟県基準寝具(株))の会社でも昔、なぜ身障者を採用するのかと反対が起きました。身障者の人たちがいなければ我々はもっと楽に給料をもらえるはずだと言う。なぜ一緒に働くのか徹底的に話し合い議論と理解を深めないといけませんでした。
愛知の障害者委員長をやっていた佐々木正喜さんがよく言っていました。「赤石さん、大体我々自身が障害者ですよ。メガネ外して、あなた見えますか?」確かに見えません。耳もよく聞こえず両方に補聴器が入っています。認知症も疑われ奥歯は全部入歯なのに偉そうな顔をしている。一人の人間として命を全うすることの意味をよく話し合わなければなりません。
障害者を雇用した渡辺さんの生き様
先ほど申し上げた渡辺トクさんにこんな話がありました。八二~三歳のころ、身障者の方が八〇名ほど会社の宿舎にいて一緒に暮らしていました。食堂で全員一緒に食事をします。ある時、無意識にふと、「社長をやっているのが疲れちゃった」と言ってしまった。業界の情勢が変わる中で新鋭機の導入に億単位の設備投資をしなければならないのに銀行がうんと言わない。そんな時期にふと、「疲れた」と出てしまった。これは「社長を辞めたい」につながるわけです。すると周りの人たちが箸を置き、あっと言う間に食堂内の全員がシーンとなった。私としたことが、なんということを言ってしまったのかと思ったが、口から出てしまったものは引っ込まない。思わず立ち上がって両手をあげて歌って踊り続けた。すると一人立ち、二人立ち一緒に踊り出し、皆にすーっと安堵の表情が出てきたそうです。それだけ慕われていた。
トクさんは皆にものすごく自立を要求した方でした。絶対に甘やかさない、だけど社員と共に命を全うしていく。自分は企業家として妥協しない。身寄りのない従業員の為にお墓も作りました。そして、社長が先に行っているからね、あんた達は頑張って頑張って生き抜いてそして終わった時に社長の所へ来るんだよと言っていました。
八〇歳半ばで億単位の設備投資をした後、お訪ねしたら工場には、企業秘密だということで入れてもらえませんでした。あの歳になっても企業の先行きを見ている。先に行っているからね、社長の所においでと言い切れる凄まじさ。これが本当の意味の人間尊重です。自主性を重んずるくらい、人にとって厳しいことはない。これを社員に認識させるような育て方をしていく必要があると思います。
(広報部 三鴨みちこ)
【感想】
コトウ ユウキ
(株)オフィスコトウ・目黒支部
同友会に入会してまもなく十年になりますが、なぜボスを作らないのか、なぜ多数決をとらないのか、どうして理念を成文化しなければならないのかの本質を理解できていませんでした。同友会はこの五〇年、 経営者たちの命を守り続けてきたのだと思います。その先頭に立って多くの同胞の死と苦難を乗り越えてこられた赤石さんが温和な口調で語る、同友会創立からの歴史、三つの理念の成り立ち、労使見解が成立するまでの息が苦しくなるような経営者たちのまさに命がけの苦闘など、エピソードの数々に思わず涙が出ました。赤石さんの語る「基本的人権の尊重」の深さを胸に、今よりも真剣に経営者であることに向き合っていこうと思います。
村上 達志
アイリス社会保険労務士法人・千代田支部
講演の中で印象的だったのは、労使見解にまつわるお話しです。労使見解を作った当時は、この問題を安易な方法で解決しようとした経営者はおらず、粘り強く突っ込んで話し合ったそうです。今、同業である社労士等主催の勉強会を見ると、この労使見解とは正反対の「従業員をいかに上手く管理するか」的なものが多く目につきます。私は労使見解に共感して同友会に入会しました。
今後は、様々な考えの方と一緒に、労使見解をどうすれば実行可能か?という観点で深い話し合いの場を設けていくことが大事だと思っています。どなたか一緒にやりませんか?