技術集団ゆえ対話を重視 社員一人ひとりが情報通信技術を通じて社会に貢献
舟木 弘 氏

ソフトウエア技術株式会社
代表取締役
舟木 弘 氏(中野支部)
【会社概要】
所在地 中野区本町1-3-11 ユニオン岡村ビル2F
設 立 1 973 年(昭和48 年)2月 10 日
従業員 31名(役員含む)
事業内容 ICTシステムの受託開発、開発支援、構築・運用・保守
組込み・制御・IoTシステムの開発
ICT利活用・導入等に関するコンサルテーション
H P https://www.sofugi.co.jp/
「おかげさまで2023年、当社は設立50周年を迎えることができました」と微笑む舟木弘氏(中野支部)。1973年、とあるシステム会社に勤めていた数名の技術者が同社を立ち上げた。取引先からの紹介で会社を成長させてきたという。次いで1975年に町田肇氏が代表となり、舟木氏の入社は1980年であった。
またこの1980年は東京同友会にとってもメモリアルな年である。そう、第一回合同企業説明会が開催されたのだ。前代表の町田氏は共同求人委員会の委員長も務め、時流に合わせ様々な挑戦をされてきた。「私が入社をした後に、共同求人で採用された社員が入ってきましたね」と振り返る舟木氏。そして、当時の共同求人委員会が作った冊子を見せてくださった。舟木氏が東京同友会に入会をしたのは2009年。「リーマンショック直後で業績が芳しくなく、役員幹部の報酬カットからのスタート。持ち直すまでにしばらくかかりましたね」と手元を見つめる。
舟木氏は高校までを地元秋田県で過ごし、電子工学を学ぶため東京へ。「もともと電気関係が好きで、大学ではコンピュータに触れることができて楽しかったです」。「大型計算機は紙のカードを用いてプログラミングをしていて、バイトもそのような仕事をしていました。そして、バイト先の方に紹介されたのが当社ソフトウエア技術だったのです」と語る。就職活動では他社も受けていたが、最初に内定が出たのがソフトウエア技術だったこともあり、同社での社会人生活がスタートした。
「当初はなにも分からず社内プログラマーとして業務と向き合い、テストでお客様先で作業をするなどをして仕事を覚えてきました」。「日本も成長期でしたから、徹夜はもちろん、一か月休みがないなんてこともありましたね」と笑う。
社員は発注先と現場で業務を行うことが多いという同社。そのため発注先との人間関係が密であり、分からないところは先方がアドバイスをくれ、人材を育ててくれる側面もあった。しかし、1990年代ほどから人材を育て合うという雰囲気よりも、結果に焦点が当たるようになった。それゆえソフトウェア技術で大切にされてきたものこそが対話である。「仕事に主体的に関わり、社員一人ひとりがその目的や重要性を理解して開発に取り組むためには対話は欠かせません。そして、お互いを人として尊重し合うことも育むことができます」。
リーマンショックは長く同社に影響を及ぼしたが、やはり人こそ会社の財産であると足元を見つめ直し、徐々に採用を再開することに。そして舟木氏は共同求人委員会にも参加をするようになった。
そして2015 年舟木氏は代表取締役に就任。「なにしろリーマンショック直後の役員就任でマイナススタートでした。少しずつ回るようになってきて、なんとか出来るだろうと思ったんでしょうね、きっと」と少しの冗談を挟みながらも、当時の決意が伺えるまなざしに。
緊張が続く日々の中、束の間、自己をゆるめる時間は日本酒を味わう時。だいたいは食中酒であるという。しかし、週末は料理をされることもあり、その時は料理をしながら日本酒を楽しむそうだ。現在、東京同友会では中野支部長と共同求人委員会副委員長を務めている。
町田氏より代表を引き継いでから、経営理念などを見直す過程でも社員との対話を欠かさなかった。「みんなが意見を出しながらロゴマークなどの見直しも行いました。町田も大切にしてきた、人間性を尊ぶこと、そして自主的、かつ民主的であること。なんだかんだとそういう文化が当社では育っています」と嬉しそうに語る。同社ではボウリング大会を毎年の行事として行っているという。それぞれが現場に赴いているため、一同を介する行事は大切にされているのである。
近年ではICT(情報通信技術)の発展とともに開発領域や規模も複雑化してきた。「最新のウェブ技術やデータベースを活用したシステムの開発などに対応できるのは、設立当時から培ってきた基礎技術が下地にあるから。また、AI やIoT を活用したICT の可能性にも挑戦しています」と舟木氏。
「私も現場を離れているので技術面で追いつくのは難しい面もありますが、どのような技術がトレンドになっているのかは常にチェックをしています。また、この社会がどのような方向に向かっているのか、そしてどのように変化をしているのかを正しく見極め、それを会社にどう戻すかを常に考えてます」。「50年も続いた会社ですから、私が代表の間は引き続き発展させていきます」と窓の空を見つめた。