感謝の輪を大切に ~地元のための工場でありたい~
大内 和久 氏
株式会社 ロコクラフト
代表取締役
大内 和久 氏(足立支部)
【会社概要】
設 立 2 007年 4 月
従業員数 12 名
事業内容 板プラスチック、エンジニアプラスチックフィルム、各種両面テー
プ、ファンシーペーパー加工販売・パッケージング(梱包・組立・出荷)業務
所在地 埼玉県草加市新里町 1599
H P http://www.lococraft.jp/
2007 年4月、プラスチック加工業として発足したロコクラフト。ゆったりして柔らかい語り口と同様に、社名の由来にも大内和久氏(足立支部長)の包容力ある想いが込められている。まず「ロコ」はハワイの言葉から。地元民のことをハワイではロコと呼び、団結して歩む意味合いがあるそうだ。そして「クラフト」は工場を意味する。ロコクラフト、つまり地元のための工場を目指したいという大内氏の旗印なのである。
大内氏は同友会の例会にゲスト参加をし、諸先輩方の生の経営の話を聞き「井の中の蛙だった」と痛感し、2015 年に入会を決めた。コロナ禍にオンラインの経営指針成文化セミナーを受講。ここで生まれた理念は「感謝の連鎖」であった。創業前から地元の先輩方に相談をし、事業の足掛かりをつくってきたこと。スタッフが事業を支えてくれること。そして家族にサポートをされてきたこと。自社を紹介してくださるお客様。それぞれにつながりがある。「ロコクラフトに相談をしたら解決ができる。できるだけワンストップでお手伝いをしたい」と語る大内氏は、まさしく感謝を第一に試行錯誤を繰り返してきている。
家業手伝いから創業まで
父君が町工場を経営されていたこともあり、大内氏は16歳で定時制高校に通いながら家業を手伝っていた。「モノづくりが好きで、ずっとやってきてるんです」とほほ笑む。家業は必ずしも順風満帆とは言えず、大内氏の給料が後回しにされることもあった。その際には、大内氏は家業の営業品目が増えればと印刷屋さんに飛び込み、奉公で技術を取得する行動を選んだ。家業が軌道に乗り、学んできた印刷技術を持ち込み、機械を入れて営業品目を増やした。「人を育てながら、自分の仕事もして、そして営業にも出る。忙しいけどやりがいがあった」と語る。当時の印刷業界は写植からDTP への移行期で、時代の移り変わりを感じることができたという。しかし、事業に再び不調が訪れ、かねてより声をかけてもらっていた地元の先輩のソフトウェア会社へ身をうつすことになった。グラフィック系の業務にも注力していたことに大内氏は惹かれたのである。「とはいえ、当時は2000年問題への対応にニーズがありました。実際の業務は西暦切り替え帳票プログラム修正が大半。徹夜も連日続き、心身ともに崩れ、3年で退職することになりました」と天井を見つめる。
再び家業へ戻ることも考えたが、地元の先輩に相談をすると機械部品のアッセンブリを請け負うことになった。この業務は現在もロコクラフトで続いており、これが同社創業の足掛かりとなったのである。
「事業と生活の基盤ができたこともあり、地元の縁で知り合った妻と結婚を決めました。これを父に報告しに行くと、『わかった。じゃあ、こちらも事業はやめる』と。いやぁ驚きました」と笑う。父君の工場の機械のうち、抜きができるものは手元に残し、これもまたロコクラフトの事業につながっていく。
感謝の輪
「相談されたときに、これ出来ないの!?って言われると悔しいんですよ」と冗談まじりに話す大内氏ではあるが、これは目の前にある縁を大切にしてきていることを意味する。相談された内容を考えながら、この機械を使って、こうできないか、あぁできないかと考えることが楽しくて仕方がないという。時には、こんな機械があれば解決するんじゃないか、とまでイメージをふくらませることも多々あるそうだ。「幸い、これまで学んできたことを自社に結び付けることができました。いまはモーター技術に着目しています。ロボット加工の自由度が上がればお客様のお悩み解決の幅も広がるはずなんです。それにこのモーター制御ならソフトウェア会社で勤務した経験も活かせるかもしれないし」といたずらっぽく笑う。
プラスチック加工はロコクラフトの主たる営業品目のひとつである。ひとえにプラスチックと言っても、いくつもの素材があり、それぞれの特性がある。「これらに対し、仕上がり品の提案ができるのが自社の強みです。ただ、加工後にはプラスチック廃材が出ます。本当は再利用できればよいのですが、そこまでの分量でもない。同じような悩みを抱える工場はあると思うので、地球環境のため、未来のために力を合わせてなんとかできないかと最近よく考えています」。
縁と向き合い、感謝し、成長をし続けるロコクラフト。工場の敷地内では社員の家族を呼んでバーベキューをし、夏場には子どもたちにプールを設置して解放しているそうだ。これを見た住民の方で、ここなら働けるかもと入社してくれたスタッフもいらっしゃるという。「地元を元気にしたい」と柔らかく、芯のある言葉で語ってくれた。