「感動」をいかに伝えるか。 その源泉は、人と人との関係性にあり。
髙橋 洋光 氏
マルチピュアジャパン株式会社
代表取締役
髙橋 洋光 氏(杉並支部)
【会社概要】
設 立 2005 年 1 月
従業員数 11 名
事業内容 浄水器輸入販売・水処理機械輸入販売
所在地 東京都杉並区上荻2-21-25
アズマビル3F
H P http://multipure.co.jp
家庭用浄水器の販売・レンタルを手掛けるマルチピュアジャパン。コロナ禍を通して、改めて顧客と真摯に向き合うことの重要性を感じているという髙橋洋光氏(杉並支部)。オフィスフロアはコールセンターの機能も兼ね備える。一般的にコールセンターといえば顧客とのやり取りのみが聞こえる静かな場所をイメージしてしまうが、マルチピュアジャパンのフロアでは、電話のやりとりの間を縫って、社員さん同士のはつらつとしたやり取りも聞こえてくるのが印象的。行き交う言葉をつなげると、顧客の悩みをいかに解決するかに焦点が当たっているようだ。外の光がほどよく差し込むフロアと、社員さん同士のエネルギーを合わせ見ると、なぜかお餅つきの合いの手を想像してしまう。
「人はハッピーな状態にあることで、まわりとの関係に気がつき、よいアイデアが生まれてくる」と語る髙橋氏。これは2005年の事業立ち上げからの数年間の苦難、よい会社をつくりたいと強く思い同友会に入会をして、2014 年に成文化セミナーを受講したこと。そして、コロナ禍中の事業構造の転換を振り返っての気づきであるという。
髙橋氏は1992 年に大学卒業後、海外に行ける会社を、との考えでパナソニックに就職。「典型的な最後のバブル世代ですよね」と微笑む。そして希望通り、海外赴任の出来る部署へ。結果、想像だにしなかったインドネシアへと2年間赴任することになった。「ほぼ学生気分で過ごしたように思いますが、時間のやりくりをしてインドネシアのあちこちへと旅行をしました。1993 年のことでしたから当然スマホなどもなく、頼りになるのは紙の地図だけ。いま思えば、あれでよく旅ができたなと」と豪胆に笑う。インドネシアは約17000 もの諸島から成り、過去には食人文化もあった村もあるほどの多様さがある。髙橋氏はそれらの訪れた村々の写真も見せてくれた。「インドネシア文化にはカルチャーショックを受けましたが、この国は石油・森林・天然ガスなど資源も豊富なんです。ですのでビジネスの可能性もあり、当時現地法人でお世話になった方を通じて、現在マルチピュアジャパンの事業展開もさせてもらっています」と語る。
帰国後はパナソニックでの日常業務になじめず退社。「プラモデルをまともに作れたことがないほど不器用ですからメーカーとの相性がよくなかったのかも」と冗談半分で語りながら、かねてより抱いていたアメリカ留学(MBA 取得)を成就すべく動いたエピソードへ。「MBA での学びの多くは大手企業の手法。中小企業を切り盛りしているいま振り返ると、MBA 知識を活用できているかどうかの判断は難しいです」。「インドネシアで未開の地を進んでいる方が人間的に学びになりましたね」と髙橋氏。2001 年帰国後は、アメリカ製浄水機械の輸入業をされていた父君の手伝いをすることに。しかし、髙橋氏が想像していた以上に事業は苦しい状況にあった。以後の展望を模索する中、氏は事業の一部であった家庭用浄水器の販売に可能性を感じ、当該事業を自らの手で開拓することを決意。製造元である浄水器メーカー米国マルチピュア社へと赴き、まさしく徒手空拳の折衝。現在のマルチピュアジャパンへの足がかりを築き上げた。
しかし待ち構えていたのは困難の日々。デパートや家電量販店で店頭に立ち販路拡大をすると、その分、値崩れもしやすくなった。マルチピュア社の浄水器はオリジナルな機能を有しているため新製品も頻繁には出ない。値崩れを戻す機会も少なかったのだ。それ以上に長年頭を抱えたのは間接販売そのもの。製品のよさがどうしてもエンドユーザに伝わらないのである。これに関しては2009 年に転機が訪れる。「バラバラな状態であった社内にもかかわらず入社をしてくれた社員がいます。彼は当社製品のファンだったのです。そして現在の他の社員も同じく製品のファンと自ずと輪が広がった。そう、当社の強みは社員自身が当社の浄水器ファンであること。私自身、相談できる仲間ができたのが有難い」と振り返る。一時期は事業テーマを浄水器販売から“健康”へと広げ、介護事業に進出したこともあった。「いまは誇りを持って浄水器に真摯に向き合っています。そうでないとお客様の悩みをくみ取れないし、解決できないのです」。「ネット販路の拡大で個人顧客との直接のコミュニケーションが大半を占めるようになった現在、社員が楽しみながら工夫をしてくれているのが心強い」と髙橋氏は合いの手が行き交うフロアを嬉しそうに見つめた。