誠実さをモットーにお客様、 スタッフと向き合う
久保木 柾仁 氏(足立支部)
株式会社プロスタッフ
代表取締役
久保木 柾仁 氏(足立支部)
【会社概要】
設 立 平成 5 年 5 月 9 日
従業員数 6 人
事業内容 新車・中古車販売、カーリース、各種点検整備、板金塗装、カーメンテナンス
所在地 東京都足立区竹の塚7-20-12
H P https://www.car-prostaff.jp/
社名の由来
「生まれは浅草五丁目なんです」とハツラツとした声で語る久保木柾仁氏。「戦後の復興期、父が丁稚奉公で上京。その後、浅草でミシンやプレス機を販売する事業を営むことに」。「それゆえ私も機械を眺めたり、プラモデルを作ることが好きな少年でした。結果的に、機械設計を学びエンジニアとして社会に出ます」。
「私はCAD で図面を引けたので、ユニットバスメーカーの制作設計部門に所属」。「大きな会社ならではのチームで動くことに楽しさを感じていたのですが、一年少し経ったときに父が急逝。それで父の会社を少しだけ手伝うこととなりました」。「メーカーでの学びは、設計をすればものを作ることができる、ということでした」と振り返る。「一方で、父が営んでいた会社の手伝いでは悔しい思いもしました」。「お客様の現場に修理に行くと、父に対する悪態をつかれたのです。職人さんの中には口がよくない人がいるのもわかっていたんですけどね。私が父の息子であることを伝えてなかったのもありますけれど、やっぱり悔しかった」と手元を見つめる。「そこで浮かんだ想いが、プロが必要とするプロ集団でした。そのような集団をつくりたい。これがプロスタッフという社名の由来です」。
複数の事業転換
「平成5年にプロスタッフを立ち上げて以降、自動車メーカーの部品工場にてラインの設計に携わります。一度プロジェクトに携わると先方現場へ缶詰の日々。自宅へは土曜日の夜に戻り、日曜の夜には現場に戻る。当時、幼かった子どもからは“おじちゃん、次はいつ来るの~?” なんて言われて、私も、うんうん、おじさんじゃないんだよ。お父さんなんだよ~なんてやり取りもありました。いまでこそ笑い話ですけどね」と微笑む。「ただ、平成も中盤に入ると自動車メーカーの生産拠点が中国に移りはじめます。そこで私も中国へと誘われるのですが、子どもの成長も見たい。また、大手メーカーと共に会社を営む限界も感じていました。個人の力ではどうしようもない部分もあるし、身近にできるビジネスモデルはないかと」。「そこで自動車の製造ではなく、販売された後のアフターマーケットという市場に飛び込むことに。アメリカに進出をして、自動車の輸入や輸出を手がけました」と語る。「そして浅草の事務所が手狭になってきたので、広い敷地を確保できた現在の足立区に構えることとなったのです」。
「また車も複数台おける敷地でしたので、平成16年から中古車販売を開始。そうして現在に至ります」。
同友会での学び
「ただ敷地が広いとターゲットにもされやすくなりますね。人的な被害も含め、いままで経験をしたことのないトラブルにも巻き込まれました」と久保木氏。「また平成20年には体の具合が悪くなり、業績も悪化。いままでは自分の体力と気力で乗り越えてきたのですが、これはゼロからやり直すしかないなと」。「で、具体的にどうしたらよいのかがつまづくところ。人間は過去の積み重ねの生き物ですから、今までと違う行動をとるしかないと思い、人間関係の清算に入ったのです」と語る。「その変化のひとつが同友会と
の出会いでした。知り合いの勉強会で葛飾支部の佐久間さんと出会い、事務所へ訪問。壁に貼ってあった、よい会社、よい経営者、よい経営環境を目指すというポスターのフレーズにぐっときました」と笑う。
「同友会では経営指針成文化セミナーや、6年間任せていただいた足立支部長など、人を巻き込む力を学びました。この力は経営につながっています。また、数字をつかむことなど経営者としてマネジメントをする大切さを教えていただいています」と言葉が弾む。「とりわけ、人を生かす経営の実践を心がけています。大きな企業の戦略に沿って営むのではなく、スタッフとともに大手が手放している分野を泥臭く磨いていくことを目指したい」。「大手自動車ディーラーでも人を育てることがますます大きな課題となっている昨今です。それゆえ、当社は誠実さをモットーに日々お客様と向き合っていきます」と前を向く久保木氏。
「自動車のメンテナンスは運転手や搭乗者の命に関わるので、プロとしてリスクを誠実にお伝えすることが重要です。自動車に限らず、ものは必ず壊れるものです。壊れた時にどのように対応するのか。また、壊れやすい場所はあらかじめ把握し、整備してお客様に提供するのが当社の役割です。幸い、優秀な整備士に恵まれ、同じく心配りのできるスタッフに支られています。人を生かす経営、ですね。20代に同友会と出会っていたらなぁ、なんてよく思いますよ」と笑顔で整備スペースを眺めた。