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中小企業家群像

日本の産業の変遷とともに 百年企業を目指す 岩上商事株式会社 岩上 浩之 氏(江東支部)

岩上商事株式会社 (江東支部)
代表取締役
岩上 浩之 氏
住 所:東京都江東区亀戸1-8-9
創 業:1906 年(岩上商店)
設 立:1927 年(合資会社岩上商店)
    1941 年(㈱岩上直一郎商店を設立し、㈾岩上商店と合併)
    1943 年 岩上商事㈱に商号変更
資本金:1050 万円
従業員数:10 名
年 商:87000 万円
業務内容:化学薬品全般の仕入・販売、包装資材全般の仕入・販売、空調用洗浄剤の販売、不動産賃貸借

総武線亀戸駅から数分の京葉道路沿いの岩上ビルに着く。社長の岩上浩之さんがロビーまで出迎えてくださった。

創業は明治39年と申し送られている。「正確な記録がないので、そのようにしています」と岩上さんは言う。㈾岩上商店を設立したのが昭和2年4月。昨年設立80期を終えた、まさに百年が視野に入る企業だ。
染物の除剤と肥料の原料が時代の変化で化学薬品を使用するようになり、それを販売することで商売が始まった。昭和に入り石油製品等を扱い、現在では半導体やパルプといった製品に大量に使用されている化学品も扱っている。日本の産業の変遷とともに扱う製品も変わった。初代から数えると浩之さんは四代目当主になる。昨年は、コロナ禍の影響でアルコールや次亜塩素酸水が爆発的に売れたそうだ。「今は、もう落ちついていますが」と語る。

化学用語がたくさん出てきて、取材班がポカンとしている様子を見た岩上さんが「わからないですよね、そう思って実験をお見せします」と紙おむつに使用している吸水性ポリマーに水を入れて固まる様子や、泡立ちが良い洗剤に消泡剤を数滴まぜると泡が消える実験を披露してくださった。「こういった原材料を弊社のお客様が、組み合わせて商品が出来上がっているんです」と、さながら理科の実験室状態になり、一気に会話の花が咲く。

昔は、ガラス瓶と土瓶を容器としていた。岩上商事のトレードマークは「籐巻瓶」でその当時使用していた現物も見せていただく。こちらも博物館見学のように盛り上る。

首都高速七号線の下は元々運河で隅田川につながっていた。ポンポン船が行きかい岩上商店(当時名)もその運河沿いに艀(はしけ)をもっていた。その後、陸送の時代になり国道沿いに拠点を移す。江東区は昔から城東地区と呼ばれ、メッキ工場や皮なめし工場が多く、客先も多かった。浩之さんは老舗を継ぐ人間として育てられた。「余計な夢や興味を持たないようにそういった対象を遠ざける作戦をされていました」と苦笑い。日大付属の中学に通い、大学は藤沢にある日大生物資源学部農業工学科に通う。「専攻したのは海が近かったから」と笑う。

同友会入会は安並潤さん(江東支部、当時支部長)に誘われて40歳の時。そして35期の成文化セミナーに参加した。それまで理念なしでも大きな問題は起きなかった。理念は「会社を私物化しない、岩上家の会社ではない、公私混同をしない」という「社員第一主義」と客先を裏切らない「利他の精神」とした。これには稲盛和夫氏の経営学に学んだことも大きい。

同友会の魅力は何ですかという問いには「人脈です」と。多くの人間的魅力のあるすばらしい人と出会えて自身の姿勢を高められることだと。

趣味の話に花が咲いた。ラジオを作ったり、アマチュア無線やオーディオアンプも自ら製作して使うことが楽しいという。「秋葉原は聖地ですよ」と皆の笑いを取りながら棚にあるラジコン飛行機の箱を指さし「実は、5年前に妻を病気で亡くしまして」。以来3人のお子さんのお弁当作りなど多忙を極め「やっとこの箱をあけてみる気分になりました」と時間の経過で癒されたとしみじみ語られた。

今後の課題や目標はとの問いには、岩上ビルはバブルの頃に先代が15億円借りて建てたそう。途中貸し渋りや貸し剥しにもあったが管理会社に一任せず、自社で管理し、又テナントの出入りが少なかったのが幸いして、最近やっと元本の返済が終わったとのこと。今後の目標は本業である化学薬品の扱い、岩上商事の得意なモノを定めて、SDGsやカーボンニュートラルといった環境にも意識した展開を考えていく必要があると。それをどう組み合わせていけるかが、これからの化学製品を扱う者には大事だと断言された。

帰りは、ビルの玄関先で私たちが信号を渡るまで見送ってくださった。誠実で律儀な方である。

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