生活環境の保全から、地球環境の保護へ ~真心込めて愛ある丁寧な仕事で100年企業を目指す~
大谷清運株式会社 二木 玲子 氏 (文京支部)
大谷清運株式会社 (文京支部)
代表取締役社長
二木 玲子 氏
設 立:1962 年
資本金:1000 万円
従業員数:206 名
年 商:15.8 億円
業務内容:一般廃棄物・産業廃棄物収集運
搬業・産業廃棄物処分業・清掃事業・企画制作事業・コンサルタント業
住 所:本社 東京都葛飾区水元1-3-13
(文京支社・リサイクルプラント・千葉支社)
JR常磐線金町駅から車で10分、静かな住宅地の一角に本社を構える大谷清運㈱。創業は、1962年、父 羽田憲二氏が設立した。社名の由来を聞いた。ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎氏は大谷重工業を経営する鉄鋼王と称された人で、進駐軍の宿舎であるワシントンハイツから出る生活ごみを家畜の餌にする事業の一部も請け負っていた。アメリカ軍が帰国後に、東京都からの代替として与えられた清掃事業を父君が譲り受け、社名の「大谷」もいただいた。
二代目社長の二木玲子さんは、高校時代から「映像制作や企画(モノをつくること)」に興味を強く持ち、日本大学芸術学部映画学科を卒業後、㈱ホテルニューオータニに10年間勤務し、販売促進業務を担当した。当時、働いていたオフィスが社長室とつながっていた為、社長がとても身近な存在であったこともあり、「社長業って面白そう。大谷清運だったら社長への道がある」と思い、自ら「大谷清運に入れてください」と父にお願いし1992年入社した。
幼いころから憲二さんがいつも言っていた「一人のスタッフを雇っていたら、その人に家族がいる。だから企業や経営者は雇っている人数の三倍も四倍もの責任がある」という言葉に、経営者の責任の重さを感じていた。入社後は業種が違うので戸惑いはあったが、友人のデザイナーと二人で企画制作部門を設立し、好きな制作の仕事を大谷清運の事業に加えてもらった。
2003年、お母様が病気になり憲二さんが看病に専念したいと、二木さんが社長に就任した。「父は真面目で働き者、子どもながら誇りに思いました。陰で父を支えていたのが母です。私の社長就任に背中を押してくれたのも母です。尊敬する母の言葉を本にしたいと思い現在制作中です。」と笑顔が輝いた。
入社した一九九二年にリオデジャネイロで地球サミットが開催され、二木さんは産業廃棄物収集運搬業から資源循環業への転換期を感じ取った。これからの時代は、運んで燃やしたり埋めるだけの時代ではなく、リサイクル(資源化)の時代になる。憲二さんに進言した。
資源化できる工場が必要と考え、2000年に足立区入谷に産業廃棄物中間処理施設「RE −BORN」を設置。「葛飾の業者がなぜ?」と言われたが、事業は順調に拡大し、手狭になった為に第二工場の建設をすることになった。その建設説明会には100名以上の反対者が押し掛けた。それまで、「うちの会社は人を大切にする誇れる会社だ」と思っていたが、世間からは産業廃棄物を扱う会社は迷惑企業と思われていることを知る。この経験が自分の人生の中で一番勉強になったと話す。何度も説明会を開き、譲歩することは譲歩し、一年がかりで2010年3月にオープンすることができた。RPF成形機(プラスッチック・木屑・古紙を原料にした固形燃料)を一台設置することで念願だったRE −BORN(再生)することができる工場になった。
産廃業にはトラブルが多い。工場での火事、運搬車両の火災やリチウムイオン電池の発火が原因の火災が起きることもあった。リチウムイオン電池からの自然発火の問題は、処理業者だけでなく、輸入・販売業者等と勉強会を開きながら防止対策を考えなければと語る。
CSR 活動においても障がい者雇用(施設外就労)実施や同業者の方や葛飾特別支援学校の研修等も行っている。また、二木さんは環境カウンセラーの資格を持ち、SDGsにも力を入れ、地元の小学生の工場見学会を開催して、環境学習の取り組みも行っている。
同友会でも文京支部長を経験された。「同友会活動がどんどん好きになり10年経ちました。特に文京支部のアカデミックなところが好きなんです」と言う。
将来、やりたいことは、プラスチックのリサイクル、自社での資源化。現在、大学とも連携し「ビニール傘」再利用など資源化に取り組んでいる。
大谷清運は来年、創業60周年を迎える。「私たちにはこれからは何世代もの人が安心して地球に住んでいけるような自然環境にしていく使命があります」という言葉に力強さを感じた。専務は姉の羽田裕美子さん(葛飾支部)、そのご子息である羽田寿洋さんは経営企画室長である。次期社長の継承への準備も整い、100年企業を目指して更なる飛躍に期待したい。