中小企業が主役になる社会を創りたい ~「経世済民」の実現のために~
株式会社ケイシステムズ 古仲 裕二 氏(新宿支部)
株式会社ケイシステムズ(新宿支部)
会長
古仲 裕二氏
東京都新宿区四谷3-11 山一ビル6F-B
創 業 1998 年
資本金 2300 万円
社員数 5 人
業務内容 経営コンサルタント、事業再生、不動産業、土地の有効活用
地下鉄丸の内線四谷三丁目消防記念館出口を道なりに行き、本日の取材先㈱ケイシステムズ古仲裕二さんの事務所に向かう。事務所のドアを開けるなり「丁度良かった。今健康ジュース作っているところだからできたら飲んでね」と、富嶽三十六景の立派な屏風絵(墨田支部・片岡屏風店特製)で仕切られた席に案内された。
古仲さんは、1949年新潟県で和菓子製造・販売業の次男として生まれ、小学生の頃から餡づくりや店番といった家業の手伝いをしながら育つ。中学では1964年の東京オリンピックの聖火ランナーにも選ばれたスポーツマンである。高校卒業後国家公務員試験を受けて大蔵省関東財務局に入省、市ヶ谷にある大蔵省財務研修所で研修を受ける。
その最終日、屋上に登り高校時代からの趣味のトランペットを吹いた。フィナーレは、「起床ラッパ」自衛隊全棟の各部屋に一斉に明かりがついた。あわてて階段を駆け下り、布団にくるまった、というエピソードが可笑しい。
技官として働くも一念発起して東京芸大を目指し退官する。設計士になるため予備校やデザイン学校に通う。しかし「デザインはセンス」。同級生との力の差を感じ、設計を諦める。生活のためアルバイトや日雇い(古仲さん曰くルンペンプロレタリア)で凌ぐ。その後建築積算の会社に就職、京王プラザホテルの構造積算にも携わった。その事務所を退社し、22歳で学生をやりながら建築コンサルタント業をスタートし、中央大学経済学部を5年かけて卒業する。奥様(啓子さん)ともその頃出会い結婚、3人のお子様を育てられた。30歳で㈱茜建築コンサルタントを設立する。
同友会との出合いは、1993年に協力会社の息子さんの結婚式で目黒支部の川嵜さんと同じテーブルで入会を勧められたことがきっかけ。1998年にバブルが崩壊していて、同友会の仲間と「中小企業の駆け込み寺」を立ち上げる。副代表理事として「中小企業の仲間が元気になる」「中小企業の経営環境をよくしたい」との思いで1994年にビジネスウェーブ新宿(昼は展示会と商談会、夜はサラリーマンミュージカル鑑賞というイベント)を開催する。1999年には新宿安田生命ビルで「銀行のなくなる日」上演。NHKや民放、CNN、フランスやスペイン、イギリスのテレビ局の取材が来るという一大イベントとなる。「銀行のなくなる日」でご縁のあった栗山富夫さん(映画「釣りバカ日誌」の監督)に請われて映画「ホーム・スイートホーム」を企画。資金面での苦労もあったが中小企業の心意気を感じるよい経験になったという。
㈱茜建築コンサルタントを三社に分割し、紆余曲折もあったが次世代への事業承継は完了した。現在の㈱ケイシステムズは不動産関係の会社であるが、昨年同所内に「中小企業マスターズクラブ」を発足した。2025年に廃業予備軍が120万社、650万人の雇用が失われるという。経営者の先輩・元気な経営者や専門家集団でタッグを組み、次世代へバトンタッチのお手伝い「中小企業による中小企業のための事業承継」を実現したいと語る古仲さん。
古希を迎えて書き上げた『私の履歴書』を拝読した。北朝鮮ツアーを始め、中小企業経営者にとって貴重な参考書だと感じた。
時代の先を読んで熟考し、行動は大胆に、とてつもない凄いことを、さらりと実現してしまう名プロデューサーがいる。