スウィーツの魅力を引きたたせるパッケージ ~作り手と贈り手の気持ちを届けます~
株式会社オザキ 尾﨑 正夫 氏 尾﨑 裕一 氏(杉並支部)
株式会社オザキ(杉並支部)
相談役会長
尾﨑 正夫 氏
専務取締役
尾﨑 裕一 氏
杉並区和泉3-59-22
設 立 1976 年9 月1 日
資本金 1000 万円
社員数 57 人
業務内容 全国の洋菓子店・ホテル等へ菓子の包装資材の企画・販売
内側に、たぎるような情熱を秘めて静かな方である。この春、昭和51年9月創業以来42年に及ぶ菓子容器の会社を名誉会長である兄の長男尾﨑浩之氏に承継された尾﨑正夫さんを杉並区和泉の本社にお尋ねした。
京王井の頭線の永福町駅から北口商店街を大宮八幡口に向かって10分弱。まるで散歩のように楽しい行程である。電柱がないのだ。街並みがスッキリと美しい。
直前右側に由緒正しい大円寺があり、その先左側に白い瀟洒(しょうしゃ)な三階建ての社屋が待っていた。
尾﨑(正夫)さんの語り口は静かで説得力がある。ご本人によれば鳥取県の山の中で生まれたと言う。昭和18年のことである。
父君が昭和19年戦死、母君は昭和29年に病死。祖父母に育てられ、生活は苦しく売り喰いでしのぎ兄が中学卒業後世帯主になった。
家計を手伝い働いたが勉強は嫌いで高校進学をイヤがると温厚な兄に顔を殴られた。後にも先にもこれが最後。愛の鞭である。
大阪に集団就職するが、すぐに兵庫県に移る。洋服(背広)の下請け業であった。この仕事も土手で川面を見ながら決断し3カ月で退職する。朝7時から夜10時までの激務であった。昭和37年、広島へ移り、パッケージメーカーに就職し、初任給7千円で働く。これがパッケージメーカーの原点。昭和38年上京し履歴書を必死の思いで書き虎ノ門の会社に倉庫番で就職。上京の折に持っていた2万円が赤坂の自動車教習所に通ったらそれでは足りず3万円かかったのは今ではホロにがく楽しい思い出。
31歳で結婚。実はこの日美味しいお茶とケーキを用意してくれた素敵な女性が尾﨑さんの奥様、貴美子さん。ことの他、味が佳かったのである。
ティラミスというケーキをご存知だろうか。一頃爆発的に売られたのだ。月に4万個の注文だったパッケージが10倍を超える依頼を受ける。ほかのユーザーの受注も考え生産可能量に押えた。誰でもが知っている有名メーカーからの依頼だった。
主な取引先の中に小布施堂、銀座千疋屋、京王プラザホテル、ザ・ペニンシュラ東京、資生堂パーラー、新宿高野、ヒルトン東京、星野リゾートなど有名取引先を含め約2000社に及ぶ。言わば小さな大企業なのだ。
いい意味で一族の力を結集し家業の良さを生かした企業経営。
スウィーツに込める気持ちも一緒に包みます
まさに会社案内のキャッチコピー通りの社風である。この日同席されたご子息で専務取締役の尾﨑裕一氏の口が爽やか。会社の野球部が強い。今年杉並区役所を破って杉並区大会で優勝したとのこと。
野球好き少年が大人になる
兄の孫が4人、全員会社で野球をやっている。カラー印刷の野球のニュースが又楽しい。会社は業績をあげている限り好きなことが出来るのだ。
33才で独立して以来順風満帆が続いた訳でもない。資金がショートしかけて給料遅配も経験した。日頃懇意の取引先に日常の現金払を手形払に変更。黙って受け取ってくれた相手の好意を今でも忘れない。個人には個人の人生が、会社には会社の歴史がある。
「趣味は何ですか」。それはもう温泉でしよう。少し時間にゆとりの出来た尾﨑さん。シニア青春の会で是非にとお元気なのである。
氏を含めて10人程で組織しているクロッキーの「シニアせせらぎの会」。主力メンバーのお一人で、作風はこの日いただいたスウィーツのパッケージのように輝いている。