技術力を支えるのは人間力 ~社員一人ひとりの人間力が生きる技術カンパニー~
株式会社RayArc 仲田 喜義 氏(新宿支部)
株式会社RayArc(新宿支部)
代表取締役
仲田 喜義 氏
東京都新宿区西新宿3 丁目8 番地3 号
新都心丸善ビル
設 立 1983 年
資 本 金 5000 万円
社 員 数 85 名
業務内容 ソフトウエア開発
仲田喜義さんは「かやぶきの里」で知られる京都の南丹市に3人兄弟の長男として生まれた。高校卒業後父親と十年の約束で地元を離れ、東京の二部上場の航空測量会社に就職する。そこでは部屋いっぱいを埋める大型コンピュータがある部門に配属された。先輩や同僚がすらすらとプログラミングする中、ご本人いわく「落ちこぼれ」状態。上司に「なぜコンピュータ部門に?」と尋ねると、入社試験で「数学の点数がよかったから」と。たまたまだと笑う。何度も異動願いを出したが願いは叶わず!何とか続けていくうちに給与計算や経理等事務部門のシステムを全てを作りあげるまでになる。働きながら1968年に青山学院経営学部の夜間に入った。しかし当時は大学紛争真っ只中で、1年生の終わりから3年生まで大学にバリケードがはられロックアウト状態が続いた。「ロックアウトが解除され8単位を取って、卒業証書をもらい卒業したよ」と。その後は、東芝系のソフト会社に移ったが、地元に戻る約束を果たすため、全国に支社のある従業員5千人以上の大企業に転職する。しかし、天下りの多い大企業で出世も面白味もないと1年も経たず退職、35歳、1983年に1人で株式会社エヌエス・コンピュータを立ち上げた。
30歳で結婚。25歳から一緒に住んでいた奥様にもSEの勉強を教えた。その奥様は日本ユニシスに停年まで勤務した。仲田さんいわく「不良はしたけど扶養はしていなかった」と。(笑)共働きで家事を分担しながらお子さん2人を育て上げた。「料理も洗濯も掃除もうまいですよ」と。
設立後五年目に東京同友会に入会する。共同求人活動がきっかけである。会社経営で人で苦労していた時だった。中途採用で社員を雇っていたが、朝9時に来ない、欠勤、早退があたり前の人達しか来ない。色の染まっていない新卒採用に切り替えることにした。
しかし、新卒採用ということは数ヵ月から数年教えるばかりで、その社員が一人前に稼ぐまでに時間がかかる、そういう社員を日中は徹底的に教育し、夜中に1人で仕事をこなすという時を過ごす。「15人分を1人で稼ぎ続けました」と。自宅に帰る時間がもったいないと事務所に泊まり込む日々が続いた。「適当な人間だからできたんですよ。家族には迷惑をかけましたねえ。でもグチを言っても始まらない、起業するということはそういうことだと自分に言い聞かせました」と。すさまじいバイタリティ、経営者としての覚悟を感じる。
2003年には株式会社システムリバティ、2006年には株式会社ムービスを設立し、育てた社員が社長になっている。社長になる社員に「辛さを味あわせてやる」(笑)と仲田さん流のはげましの言葉を贈る。「2007年にCIを実施して、現社名RayArcとした。設立時目標としていた10年で社員100名を分社した会社も含め25年目で達成できた。顧問税理士からは上場を目標に」と言われたが、そこに興味は湧かなかった。資産も増やす気が起きなかった。「人を育て続けることが大きな自信であり信条でもある」という。今後は同友会の仲間と持株会社を4月早々に設立し近い将来、その会社の上場させるという夢もあるそうだ。
RayArcは、2月中旬、本社事務所を慣れ親しんだ西新宿5丁目の出光西新宿ビルから、西新宿3丁目新都心丸善ビルに移転しているので会社訪問の際はお間違えなく。
東京同友会で永く共同求人に関わり、全国を飛び回っている。「採用できなくても全国各地でおいしいものを食べ、現地でゴルフをする」仕事をしながら、キチンと息抜きをしている。仲田さんは、今期から東京同友会代表理事に就任された。今後益々の活躍が期待される。
取材中、終始笑顔を絶やさない。この笑顔が社員を惹きつける魅力の一つだろう。
どこまでも自然体で取り組み、しっかりと実績を残している。経営者として備えたい資質を持つ素敵な人だ。