安心・安全に、快適さをそえて ~時代の一歩先を読む経営手腕~
株式会社セーフティ&ベル取締役会長 宇佐見 弘 氏(渋谷支部)
株式会社セーフティ&ベル(渋谷支部)
取締役会長
宇佐見 弘 氏
東京都品川区東五反田3 丁目17 番16 号
創立 1969 年9 月
設立 1971 年1 月
資本金 2000 万円
社員数 85 名
業務内容 防犯・防災システム、メディア・通信ネットワークシステム、管理コミュニケーションシステム、快適環境提案
中小企業家群像での紹介が遅れたかなと思う会社が幾つかある。㈱セーフティ&ベル会長宇佐見弘さんの活躍がそうである。
JR 五反田駅から通称ソニー通りを都心に向けて七、八分。信号を左折すると間もなくのところにあるセーフティー& ベル、別棟の管理業務部会議室で発展の歴史を伺った。
鳥取から上京されて仕事を始めたのが昭和44年9月。46年4月には正式に法人設立をする。セキュリティシステムの施工会社として友人と二人でスタートしたが、今や四七年を超えて業務内容も広がった。出入庫管理システム・業務用インターホン・自動火災報知システムをはじめとして防災安全システム全般に業容を拡大。社員数も間もなく100名。
近隣に本社、営業部、施工部の他、第一倉庫、第二倉庫、ケア事業部といたるところに会社のマークが立ち並ぶ。多摩営業所、大阪営業所の活動が一層、業容の拡大に拍車をかけている。
それでも順風満帆ひとすじだったわけでもない。金融機関と交渉で苦労をしたことも。
個人保証をしなくともよい会社にしようと努力も重ねた。連日夜中まで働いて会社の灯が消えることなく不夜城と言われたこともあった。
忙しいのに儲からない。悪循環をたち切るためにマンパワーの依存から機器の活用を含めた営業方針に転換する。人工(にんく)売りからかえた、付加価値の増大が発展に結びつく。
一社依存から脱却を図ろうと考えたのは、主要取引先による一方的な支払い延期や値引き価格の統制等自主性が保てないと判断したから。
しかし、バブル前は人手さえあれば何とかなったが、バブル崩壊後は多様化に伴って拡張した取引先の倒産や縮小により売上が減少し苦境に立たされる。
だが、同友会で学んだ経営指針の見直しや我が社の強みを再認識して不況を突破し、いち早く立ち直ることによって状況が一変する。
今では、多角化する一流企業との強い結びつきにより取引先から便利な会社としての絶大な信頼を得てこの難関を突破する。
長男に代表権を渡すこともスムーズに出来た。後継者育成に5年をかけたのが奏功する。今は人事からも手を引き、経営を一任することによって手に入れたのが自由。東京同友会の青懇(青年経営者懇話会)で活躍した宇佐見さん。ついこの間、古希を迎えたばかり。
社内旅行も復活し、社員の寸劇を楽しむゆとりもできた。そして社内報「せふべるニュース」の出来栄えが出色。
明石の教会で23歳の時に結婚式を挙げたご本人。挙式の前夜、幼馴染みと飲み過ぎて、新郎の自分が式に遅刻した。それも今は懐かしい想い出。
東京同友会では渋谷支部長、副代表理事、西部協議会議長と要職を歴任。見送っていただいたビルの向こうに新規事業のデイケア看護の標識が。同社の未来を予感させて明るい。